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2015年3月

2015年3月22日 (日)

裁縫の神様 縫殿神社 福津市


R495沿いは「オデかけ!」でも何度も登場している、 ドライブスポット。

 

今日はこの路線沿い、日本最初の裁縫の神様に出逢いにラパンで「ラパかけ!」です。




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R495練原交差点からK526を進むと寶蓮寺(宝蓮寺)の看板があります。

そこから集落の中を少し進みます。



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寶蓮寺のすぐ上に、目的地、縫殿(ぬいどの)神社があります。




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すぐに一の鳥居が見えてきました。
    

                               

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縫殿神社 福津市案内板より



 応神天皇の頃に、呉の国(今の中国)から兄媛(えひめ)、弟媛(おとひめ)、呉織(くれはとり)、穴織(あなはとり)の4名の媛が織物、縫物進んだ技術を日本に伝える為に招かれました。

 

 

                    

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この中の兄媛は宗像神の求めでこの地に残り、中国の高度な染色、機織り、裁縫の技術を広めたと言われています。
       

               
   

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祭神は、この4名の媛と応神天皇、神功皇后、大歳神でこの神社は日本最初の裁縫の神様であり、この地はデザイン、ファッションの発祥の地と言えます。
 



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この神社には、永享12年(1440年)につくられた梵鐘(県指定有形文化財、宗像大社神宝館に展示)、南北朝時代の大般若経600巻や江戸時代中期ごろの三十六歌仙絵扁額をはじめとする絵馬があります。

                         福津市 案内板より

 

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4人でやって来て、一人残った兄媛。その心情はどうだったでしょう。

ここまでは日本書紀の記述によるもの。


                                                          

その後一行は大阪に着き、織物裁縫の技術を広めたのでしょう。


呉媛と穴媛はそれぞれ呉服(くれは)神社、伊居田(いけだ)神社に祀られています。
                            by ウィキペディア ( ..)φメモメモ


弟媛はどうしたのでしょう。 

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 社殿が見えてきました。


 

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奥のご本殿は流造



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鬼面の彫り物が柱を噛んでいます。

   

              

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台座も雰囲気があります。
        
                                                            

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末社や摂社の祠もあるのですが、祀られている神様はわかりませんでした。


さらに上へと続く石段を登ると。



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3つの祠が並んでいました。

 

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この地に一人残った兄媛ですが、4人の媛を合わせて祀られていることからも、この地域の方々が媛たちに感謝し、地域の氏神様として永い間大切にされているんだなぁと思いました。

 

続いて古墳群に向かいます。

 

新原奴山古墳群は5世紀から6世紀につくられ、発見された59基のうち41基の古墳が現存する古墳の密集地帯です。
                   

その中のひとつ21号墳には「新原の百搭板碑」があります。
                 

平家追善のためとも、元寇の蒙古兵供養のためともいわれる、鎌倉時代のものです。
 

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梵字や仏像の彫刻がある板碑ですが、囲いがあって近づくことはできません。




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そのとなりの22号墳は現在は木が生い茂り小山のように見えます。
                            

円墳のように見えますが、実は全長80mの前方後円墳で、古墳群の中で一番大きな古墳です。



                                

こちらにもう一つの「縫殿宮」があると聞いて、探してみました。

道沿いにはそれらしいものがなかったので、22号墳の周りを反時計回りに歩いてみます。

            

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道なき道を歩いていくと、鳥居を発見。
                       

(実は百搭板碑の脇の小道を進むとよかったのです。写真鳥居右手の道が百搭板碑の場所につながります。)

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縫殿宮の鳥居。大正時代の物です。

 

縫殿神社の一の鳥居の扁額も「縫殿宮」でした。



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石を荒積みした階段。

            

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ここは22号墳の上です。




奥に小さな祠がひとつ。
                 
      


                  

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祭場に見られるように石で周りを囲み、一段高くされた場所に置かれた小さな祠には



「縫殿宮」と書かれた御神体が祀られていました。


          
         

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なぜ一番大きな22号墳の上に縫殿宮があるのでしょう。



                                                         

その経緯については、想像するしかないようです。

 
          

                                                                                    

もしかすると、この古墳が兄媛のお墓なのかもしれません。
               


どちらにせよ、いちばん大きな古墳の上に4人の媛たちを祀ってあるところが、媛たちがこの地でとても慕われていることの表れなのでしょう。

遠い昔の人たちのことに、思いを馳せさせる静かな神社でした(^。^)


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ご覧いただきありがとうございました(@^^)/~~~


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この季節も近付いてきましたね(^。^)

 

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